日本の音・美・心-オリジナルな音楽・舞台を通じて感動を共有 Waternet SG ウォーターネットサウンドグループ

TOPJAPANESEENGLISH中文 お問い合わせ
TOPICS会社概要サイトマップ
和楽の新たな世界-注目のアーティストがラインナップ
お薦め企画 アーティスト 講演予定 実績 CD情報

TOP >和楽器豆知識 [大鼓]
尺八
琵琶
太棹三味線
一絃琴
大鼓
小鼓
能管
雅楽・笙

和楽器豆知識

大鼓

楽器


大鼓(大倉正之助)

大鼓(おおつづみ)は、能の囃子方を構成する楽器。能は、役者、地謡(じうたい)、囃子の3部からなる。
囃子方は、能管(横笛)と小鼓、大鼓、太鼓という三種の打楽器からなり、“四拍子”と呼ばれる。囃子は「囃す」という動詞の名詞化であり、語源的に謡(うたい)や舞という対象物を「生やす」「栄やす」という意味合いを持つ。
大鼓(おおつづみ)は、「おおかわ」とも呼び、小鼓とともに「大小」とも称されるようにペアとなる楽器。小鼓、大鼓、太鼓は全て木部の中をくりぬいた「胴」を二枚の皮ではさみ、「調(しらべ)」という麻紐で組み上げている。調緒と小締メで締め、化粧調は演奏時にはずす。
「胴」の素材は桜が多く、革は馬革がベストとされる。大鼓の革は、成馬のお尻、背中、肩などの丈夫で堅い革を使う。小鼓の革は、敏感で柔らかい皮が要求され、生後2〜3カ月の幼馬がよいとされる。
大鼓は「チョン」、「ツ」「ドン」と表現される硬質の高い音を出すため、極度の乾燥が必要で演奏前に革を炭火で焙じて乾燥させる。一方、小鼓は、「ポ」「プ」「タ」「チ」と表現される柔らかく丸みのある音色が特長で、革に適度な湿り気が必要なため、奏者が革に息を吹きかけたり、唾液で湿らせたりする。
大鼓は、革を打つ右手の勢いで音量と音質を調整するが、強い衝撃を避けるため、指先に「指革」(和紙を貼り固めたもの)といわれるプロテクターを付ける。

歴史


日本の上代において皮革を用いる打楽器の総称として「つづみ」という語が用いられ、その語源は、中国の「都曇鼓」からという説、あるいはインド系の紐締式の打楽器ドゥンドゥビーであるという説などがある。
「古事記」中巻にある「この御酒を醸(か)みけむ人はその鼓臼に立てて歌いつつ醸みけれかも・・・」という酒楽(さかくら)の歌が、鼓という語が使われた最も古い例とされる。
推古天皇のころ、中国南方の伎楽が伝えられ、腰の細い呉鼓が用いられ、奈良時代に唐楽が伝えられるとともに、鞨鼓(かっこ)、太鼓も輸入された。
唐楽用に、インドから西域を経て中国に伝わった、手またはバチで左右の革面を打つ壱鼓、二鼓、三鼓、四鼓という四種類の細腰鼓があったが、平安末期には左手で調緒を握り、右手指で革面を打つようになり、小鼓は壱鼓、大鼓は二鼓の変形したものといわれている。


「能」は“猿楽”とも言い、明治以降は“能楽”とも言う。「能」の源流は、奈良時代に中国から伝来した“散楽”に端を発し、同じ時代に中国から伝えられた雅楽が宮廷音楽だったのに対して、散楽は民間の雑芸として広がった。平安時代に入り、散楽は日本古来の芸能と融合して猿楽に発展し、農村の神事から起こった田楽とともに人気を集めていく。
室町時代初、大和猿楽に属する結崎座の観阿弥・世阿弥父子が猿楽能を向上発展させ芸術的に優れたものにし、その座を観世座と称した。世阿弥は、五十曲以上の作品を創り、能に関する芸論書「風姿花伝」などの書物を書き残した。
江戸時代になると、能楽は武家の式楽となり能楽師は幕府や諸大名に抱えられて武士に準ずる待遇を受け、一般民衆は能楽をみる機会に恵まれなかった。江戸幕府の崩壊は式楽の歴史に終止符を打つが、明治時代に入り新たなるバックアップを受けながら、家元制度強化、能と狂言を併せて“能楽”とする慣習、能楽堂という舞台様式の確立などが行われる。

奏法

打楽器の拍子型は、並拍子・ノリ拍子・サシ拍子の三種
打音と掛ケ声(かけごえ)
掛ケ声の基本は、ヤ・ハ・イヤ・ヨイの四種。
一定の打音と掛ケ声とが一定の順序に配列された常用の音型を、手組ミという。(地ノ類、頭組ミノ類、手ノ類、など


(C) Waternet SG Inc. 2003-2008 All Rights Reserved.